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神様の御言葉と上司の言葉の違い

『しろ。するな。全能者神様の言葉に絶対に聞き従いなさい。』 でした。 この御言葉を聞いて、頭の中が複雑になっていたのは僕だけかもしれません(笑) どうして、複雑になってしまったのか。 それは、仕事が原因でした。   元々、深く考えるという習慣がなかった僕は、仕事を始めるようになってから苦労しました。 特に今年、現場が変わり、自社の社員は僕一人だけで、今までは手とり足取り教えてもらえる環境だったのですが、自分から動かなければ教えてくれないし、理解もできない、そういう環境になり、自ら考えなければならない状況になりました。 そう言った時に、今まで「なんとかなるさ」とテキトウにやっていた習慣が苦労させることに繋がったのです。 それから、自分で考えるようになりました。 SEの世界は論理的思考が鍛えられますね(;´∀`) 呪文のように、何で?何で?何で?…と自分に問いかけていました。 さすがやりすぎると、オーバーヒートするのでほどほどにしながら…   それからは、答えを見いだせないとしても、考える習慣は大分ついてきたように感じます。   上司から仕事を教えてもらうときも、どうしてなのか考えるようになりました。 今までは、言われたことを鵜呑みにして、ロボットのようにその通りやっていましたが、それだけでは成長しないんだなと言うことに気づきました。 自分で考えないと言われたとおりやって上手くいかなかった時に、解決できないんですね。 その時、誰かいれば助けてもらえますが、誰もいなければ何もできません。 〇〇が言ったからと言うのは言い訳に過ぎず、自分も社員の一人としてできないといけないわけです。 それで、上司の言うことも考えるようになりました。 疑問が解決されるので、頭もスッキリします。     で、今週の御言葉を聞いたのですが、、、 「聞き従いなさい」 主題を聞いた瞬間、 「アーメン!」と認める声と 「ん〜〜〜」という2つの声が心から出てきました(;´∀`) アーメンと言うのは、「その通りです!認めます!」という時に言います。 確かに、御言葉には従順しなさいということは以前から御言葉でも出ていました。 聖書にも書いてあります。 聖書の預言者たちは神様の言葉に従順して、神様から選ばれる人となり、それぞれの時代の中心となり、歴史を広げてきました。 それなのに何故、疑問を持ってしまったのか?というと、 初めに書いたように、仕事で考える習慣がついてしまったからです。 いや、習慣がついたというよりかは、習慣にしようと努力していた矢先だったからです。 御言葉についても考えれば、神様の言わんとしていることが、より具体的に分かるから、その方が良いのではないかと思っていました。 でも、それは違うんですね。 御言葉の中で、はっきりと仰ってくださいました。

どうして「内容」は話してくださらないのでしょうか? <内容>を話してあげて、御言葉に聞き従うならば、全能者の<御言葉>を見て聞き従ったのではなく、<内容>を見てそれを中心にして行なったことになります。 <内容>が「禍」を受けることだから聞き従うとか、<内容>が「祝福」を受けることだから聞き従うのなら、<考えの中心>を「神様の御言葉」に置かずに、その「内容」に置いたことになります。 だから<御言葉の権威>を中心にしないから、それがつまり「神様」を中心にしなかったことになります。 どうしてしろと言うのか、どうしてするなと言うのか、先に教えてあげたら「内容」を意識するから、むしろ<すべきこと>もできなくなるし、<すべきでないこと>もするようになります。

だから「内容」を尋ねずに、神様が「しろ」、あるいは「するな」とおっしゃったら、<全能者の御言葉>がどれほど大きいのか悟って、早速感謝し、喜ぶ心で聞き従うことを願います。

鄭明析牧師による主日の御言葉からⓒ

この御言葉を聞いて、納得しました。 神様の言葉は従順しないといけませんが、 上司の言葉は従順するだけではいけないんですね(笑) これは、神様の言葉がいかに絶対的なのかわかりますね。 だから、学力のある人たちは、御言葉を学び始めた時、頭でひたすら考えてしまうから、わからなくなってしまうのかなと思います。 考える前に、その通り行なってみる。 そうすると、答えが来るかもしれません。   あ、ちなみに写真は、羊です(笑) 羊は、聖書で従順な人の比喩で使われます^^]]>

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