仕事をしていると
結果を求められます。
途中経過は大事ではありつつも、どうしても、結果がともっているかどうかが問題です。
失敗してしまったら途中経過は
失敗へのプロセスを
繰り返すことがないようにと、ダメなこと、そうしてはいけないことを
知ることです。
最初は寛容でも、同じことを繰り返すと・・・
どうなるでしょうか?
想像はつきますよね。
ダメだとレッテルをはられることになります。
完成してこそ、成功してこそ、認められるのです。
厳しいようでもありますが
利益を求める限り必要なことですよね。
成功しないと
得ることもできません。
また、スピードも重要です。
「石橋を叩いて渡る」精神も必要ですが
早いことに越したことはないですよね。
例えば、皆さんがスーパーやコンビニのレジに並ぶとき・・・
皆さんはレジをしてくれる人に何を求めますか?
正確に早くですよね。
正確と早く。両方を求めています。
早いからと言って、お金をたくさん請求されても困るのではないでしょうか?
仕事も同じです。
ある上司は
100%は求めていません。
70%を求める場合もあります。
例えば、様々な専門職を雇っている会社で
雇い主は文系、専門職は理系。。。
文系の雇い主は専門用語もわからないし、それが何かの開発で売ることを目的としている場合
文系の雇い主は専門職の部下に何を求めるでしょうか?
ターゲットにしている客層にわかりやすく、求めやすいモノの開発を求めますよね。
商品ができた時、一般的な人にわかりやすく広告できたときに
購入したいと思うのではないでしょうか?
商品の説明資料を専門職の人が作成したらどうなるでしょうか?
専門用語がいっぱいでわかりにくいですよね。
そんな時には70%の説明資料を作ってもらい、
その資料をもとに、雇い主はターゲットにしている客層にわかりやすく作りなおすと思います。
遅くて、専門職の人にとって、100%の説明資料より
作り直すことを考慮するなら、早くて、70%の説明資料の方がよくないですか?
結局は聞きながら作り直す可能性が高いのですから・・・
信仰生活を送り、自分自身を作ることも同じです。
いつの間にか?
自分の理想像を作っていませんか?
私たちにとって、理想像とは何でしょうか?
神様が求める次元の自分自身ではないかと思います。
そのために御言葉を聞いて、自分自身をつくっています。
みなさんも
自分自身が足りない存在だとか思っていませんか?
それでいいのです。
神様と相談しながら、御言葉でつくっていけばいいのではないでしょうか?
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